ボク、実はモデラーです。
えぇえぇ、オタクです。
「オタクの与太話なんて知らねーよ」って方は、スルーしてくださいね。
さて、作りかけのまんま放置プレイでじっくりと熟成させておりました、
ウェイン・レイニーのチャンピオンマシン、
YAMAHA YZR 500 TEAM ROBERTSが此のたび、
しばらく前から重~~~~い腰を上げて、ちまちまちまちまちま…と進めてたんですが、
ついに完成しました!
ボクが作ってる「ガレージキット」って、市販されてるいわゆる「プラモデル」のように、
説明書見ながらパチパチやっていくといつかは完成するというものではなく、
資料片手に、不完全なキットをひたすら削って…盛って…またまた削って盛って…の
積み重ねで、いつ完成するのかが全く見えないという、
なんともドMな趣味なんですよね。
そんな訳で、一度放置すると、再開する時「はて…何やってたっけな…??」と、
遥か彼方の記憶をたどる作業から始めないといけないという、
これまた痴呆なボクにはキツいんです…。
と、前置きが長くなりましたが、無事に完成したということで、
過去、作業しながら撮ってた写真を元に、
せっかくなので記録に残しておこうかと思いマス。
ちなみに作業再開後の作業は、全く写真撮ってません。いやぁ~めんどくさくって。
まずは「ウェイン・レイニーって誰やねん!」という方に
ウェイン・レイニー氏をちょこっと紹介。
表彰台の真ん中に立ってるのが、レイニー氏。
ちなみに、右にいるのが、レイニーのライバル、ケビン・シュワンツ氏。
1990年、1991年、1992年の3年連続で、WGP(ワールドグランプリ)500CCで
年間優勝した、伝説のライダーです。
ゼッケン1番のレイニー氏と、34番のシュワンツ氏が毎レース熱いバトルしてました。
彼は1993年のシーズン中、レース中の事故により脊髄の損傷。
一命はとりとめたものの、下半身不随になってそのまま引退。
今は車いすの生活をされています。
当時、シュワンツとのチャンピオン争い中の事故は本当にショックで
う●こが2日間でませんでした。。。
今では500CCの2サイクルは、レースからなくなってしまって
4サイクルでのレースになってしまいました。
4サイクルのレースには全く興味ないので、全然観てません。
今回作るのが、↓のマルボロカラーのゼッケン1番、
1992年 YAMAHA YZR 500 TEAM ROBERTS 号です。
この時代のマシンって、ほとんどプラモデルになってないんです。
タバコのスポンサーカラーが全盛期っていうのも理由の一つかもしれません。
シンプルなタバコのスポンサーカラーが、めっちゃかっこ良かったんです。
ちなみに、ぼくはWGPがきっかけで、当時はラッキーストライク吸ってました。
今回のガレージキットはこれです。
K's WORKSHOPが発売していたガレージキットです。
ベースに、タミヤの99年型YZR500を使います。
説明書も手づくりです。
おぉぉ… マルボロデカール!
極少数生産ガレージキットゆえに、失敗は許されませんです。。
ゼッケン4番のコシンスキーモデルも作れますが、もちろんレイニー号です。
中身は…
レジン製の部品が結構ありますね~
手強そうです。。。
ガレージキットの製作は、このレジンの部品を処理するところから始まります。
では、第2戦に続きます。
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ガレキ製作 K's WORKSHOP YAMAHA 1992 YZR500 ☆第1戦☆
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